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2007年10月28日

テレビの責任

5時間生放送の
「たけしの日本教育白書」
今年のテーマは「責任」。

本題の「教育」が十分に語られたかは別にして
ビートたけし、久米宏、小倉智昭、テリー伊藤、爆笑問題による、
「テレビの責任」と題した討論は、とても興味深かった。

テレビにジャーナリズムやリアリティを求め、固執しているのは
もはや「作り手」だけなのかもしれない。
お客さんはもう、いい意味で、
諦めてくれているじゃないかと思うからだ。

この時代、
バラエティはもちろんニュースやドキュメンタリーでさえも
斜に構え、批判がちにテレビを観る人は多い。
「メディアリテラシー」と称して、
そういう見方が正しいのだとする主張すらあるほどに。

討論の中で、久米さんも語っていたが、
テレビ、とくに民放は「消費」と切っても切れない関係にある。

亀田一家も、朝青龍も、政治家の悪事も
誤解を恐れずに言えばテレビ局の不祥事でさえも、

メディアの「過熱」ぶりは
テレビが避けて通れない「消費」と、
世間が道徳として求める「正義」「規律」との
せめぎ合いの中で、
「否応なく」、生まれてしまうものなのだと思う。

討論の中で、たけしさんは
メディアの過熱報道も、メディア同士の落とし合いも
「全部ひっくるめてエンターテイメントなんだ」と言っていた。
奢りでもなく、諦めでもなく、
テレビなんて所詮、そんなモンなんだ
と、私もそう思う。

テレビは、いつからこんなに偉くなったのだろう…

お客さんもそれに気がつき始めていて、
テレビ以外の手段で自分なりのリアリティを見つけたり
たとえ、それが出来なくても「テレビが全てではない」という認識が
子供にもお年寄りにも浸透しつつあると思う。

そんな流れの中で、
最も過信し、誤解し、「KY」なのは
作り手なのかもしれない。

投稿者 mediaholic : 2007年10月28日 19:21

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